自主ゼミナール

お久しぶりです。この一か月、医学科専門のテストがあったり始めたばかりの慣れないバイトがあったりと忙しく、ブログを更新できませんでした。

今回は、私が本格的に活動しているサークルである「自主ゼミナールさくらんぼ」についてお話いたします。

まず初めに、さくらんぼサークルは二週間に一回、何処かに集まって活動を行います。二週間に一回なので他の部活との兼部は十分に可能です。実際、私もこれから先輩に連絡してソフトボール部に入れてもらい、ソフトボール部と兼部します。また、メンバーには医学部以外の人も存在します。

活動内容ですが、サークルのメンバーが何かテーマを決めてそれについて話し合うというものです。たまに、1つのテーマに対して全員が気になったことを持ち寄って発表するということもあります。

扱ったテーマですが、私が参加し始めてからですが、性教育、ネットなどによる誹謗中傷の問題、脳、病院で救えない命の問題、救急医療などです。このうち、救急医療については私が興味を持ったので私が発表しました。この内容については後日お話いたします。

私はまだ参加していませんが、他大学の方々で我々と同じような活動をしている方々と交流する場も設けられます。そこで他大学の方々の発表を聞くことで広い見解を得られると考え、私も今後、積極的に参加していきます。私自身は今月の24日にオンライン(現在の情勢から直接は集まれません)で初参加することになっています。

私自身、今の代表から引き継いで来年度、再来年度の代表になるものだと考えていますが、1年生の時に習う医学科専門の内容を使って発表をしたりすることも考えています。正直、テストを受けてそのテストで合格点を取った後にこれらの内容を忘れてしまうのはもったいないと感じます。「医学を学んでいない方々でも分かるように」「分厚い本などを読まなくても気軽に参加できる」というのが前提なのであまり難しい事には触れられませんが、何か役に立つことを見つけて簡単に理解出来るようにまとめたいです。

私の家族、高校の時の友人、北大の時の友人に説明して理解されないようなPowerPointであれば、私はまだ患者に病気の事などをきちんと説明する能力が足りていないものだと考えます。

長与専斎の功績

医学科専門の授業ではありませんが月曜日に、明治時代の文化と社会という授業の中で、明治時代における健康の変化について学びました。江戸時代は養生の時代で、明治時代は衛生の時代だということを学びました。

養生の時代には、貝原益軒が養生訓で「健康で長生きしてこそ、人としての楽しみを味わうことができる。養生の術を知らなければ多病に苦しみ、元気がなくなり、早く死んでしまう」といったことを書いてありました(訳が少し間違っている可能性がありますので、少し疑ってください)。ここで言う養生の術とは、呼吸法、マッ サージ、食生活 の改善、性生活の節制など、個人の主体的な努力を意味しているように思えます。

これは現代でも通用するところがあると思います。この時代では、個人自らがこれらを実践出来なくて病気になったとしたら、これらを怠ったその人が悪いといった考えのように受け取れます。

一方、衛生の時代は国家が国民の健康を守るという考えが取り入れられています。私が思うに、日本において、衛生の時代が始まったのは、長与専斎という人物のおかげだと思います。

その長与専斎は、明治時代初期に西欧を視察しました。彼がベルリンに居るとき、彼は、ゲズントハイツプレーゲという言葉をよく耳にしたそうです。その言葉を調べているうちに、それが国民一般の健康保護を担当する行政組織を意味することを発見しました。 そして、「ゲズントハイツプレーゲ」を衛生と翻訳しました。その後、1873年に文部省医務局長に就任し、1874年に、医師は西洋医学を学び、医師免許を取得しなければならないなど、近代医療の基本的な枠踏みを構築しました。

明治初期の当時は、西欧の文化をどんどん取り入れていった時代であり、医学も例外ではないと思います。もし、治療法などだけを学んでいたとしたら、個人の努力で健康を守るという時代は長引き、現在の国民皆保険制度が導入される時期が遅れていたのかもしれません。

国民皆保険制度は皆でお金を出し合って、病気やけがの場合に皆が安心して医療が受けられることを目的にしたものと思われます。この考えは長与専斎が発見した「衛生」という考えそのものだと思います。ですので、長与専斎が明治時代の初期に「ゲズントハイツプレーゲ」という言葉の良く調べ、「国家が国民の健康を守る」という結論を出したからこそ、皆が安心して医療を受けられる時代になったのだと思います。実際には高度な医療を受けられないことがあるとは聞きますけど。